続き 大和川から広瀬神社{水の神を祭り、天武天皇が祈願}傍の曽我川を遡り
高取町の与楽地区、乾城古墳に到着した。
ギラギラと強い日差しの照りつけるなか、辺りには誰もいやいん
第3次調査概要{高取町教育委員会}に拠ると古墳は1トレンチの調査結果から
一辺36m 高さ 11mを計る二段築製の方墳と考えられる。
丁度南に開口してるので、後ろの北側に廻ってみたらトレンチの跡があった
資料では北側で掘割の一部と考えられる溝を確認、幅{南北}6m、
深さ0.8mを計る、
玄室は長さ 6m 幅3.7m 高さ 5.27mと確定 天井の高さは奈良県下
で一番高い
床面は壁面から幅0.4mの小礫による敷石を三方に確認、大きさは大小2種類
何れも川原石で 大きいのは設置時に凝灰岩系の粉石で固められてた。
又奥壁から南へ約1.5m地点にある礫は強い火により変色している。
玄室中央の南側に 前回紹介した造り付けの棺台の残存を検出
横穴式石室の全長は玄室が6m 羨道が5.6mで計 11.6m
玄室から須恵器杯、甕破片、土師器片、須恵器瓶子、土師器杯、黒色土器椀
瓦器椀、土釜、土鍋、すり鉢、焙烙、鉄釘、指輪、耳環、キセル、古銭
古墳時代から近世までの遺物が出土。
鉄釘は大型品が一本、断面形態が正方形で全長22.5cm付着した木片などの
木目などから木棺に使用されたと推測できる。
甑か鍋の掴手と考えられる土器片からミニチュア炊飯具や銀製の指輪など
被葬者像がある程度推定できる遺物が出土している。
この貝吹山南麓地域は玄室平面の規模と比較して天井が高いという特徴を
もつ、与楽カンス塚古墳、真弓カンス塚古墳{私の今年2月10日、12日、14日付け
で記事と写真を参照、現地公開時の様子です}、沼山古墳などが集中しており
特にカンジョ古墳は天井の高さが県下で一番高い。
写真 1は 墳丘の北側から トレイチの跡{土の黄色く草の生えてないとこ}
と墳丘を眺めたところや。
2 は 石室の入り口と 現在残ってる墳丘を南の裾から
3 は 玄室の床面 中央が 棺台の残存部分や 周囲3方の
壁近くに川原石で葺いた礫が見える。
4 は 玄室内の奥壁を写す、 側壁が持ち送りになってて
天井が高いのが解る、
5 は 入り口{開口部}から南方面を眺めてる、山の向こうは
市尾地区や
高取町の与楽地区、乾城古墳に到着した。
ギラギラと強い日差しの照りつけるなか、辺りには誰もいやいん
第3次調査概要{高取町教育委員会}に拠ると古墳は1トレンチの調査結果から
一辺36m 高さ 11mを計る二段築製の方墳と考えられる。
丁度南に開口してるので、後ろの北側に廻ってみたらトレンチの跡があった
資料では北側で掘割の一部と考えられる溝を確認、幅{南北}6m、
深さ0.8mを計る、
玄室は長さ 6m 幅3.7m 高さ 5.27mと確定 天井の高さは奈良県下
で一番高い
床面は壁面から幅0.4mの小礫による敷石を三方に確認、大きさは大小2種類
何れも川原石で 大きいのは設置時に凝灰岩系の粉石で固められてた。
又奥壁から南へ約1.5m地点にある礫は強い火により変色している。
玄室中央の南側に 前回紹介した造り付けの棺台の残存を検出
横穴式石室の全長は玄室が6m 羨道が5.6mで計 11.6m
玄室から須恵器杯、甕破片、土師器片、須恵器瓶子、土師器杯、黒色土器椀
瓦器椀、土釜、土鍋、すり鉢、焙烙、鉄釘、指輪、耳環、キセル、古銭
古墳時代から近世までの遺物が出土。
鉄釘は大型品が一本、断面形態が正方形で全長22.5cm付着した木片などの
木目などから木棺に使用されたと推測できる。
甑か鍋の掴手と考えられる土器片からミニチュア炊飯具や銀製の指輪など
被葬者像がある程度推定できる遺物が出土している。
この貝吹山南麓地域は玄室平面の規模と比較して天井が高いという特徴を
もつ、与楽カンス塚古墳、真弓カンス塚古墳{私の今年2月10日、12日、14日付け
で記事と写真を参照、現地公開時の様子です}、沼山古墳などが集中しており
特にカンジョ古墳は天井の高さが県下で一番高い。
写真 1は 墳丘の北側から トレイチの跡{土の黄色く草の生えてないとこ}
と墳丘を眺めたところや。
2 は 石室の入り口と 現在残ってる墳丘を南の裾から
3 は 玄室の床面 中央が 棺台の残存部分や 周囲3方の
壁近くに川原石で葺いた礫が見える。
4 は 玄室内の奥壁を写す、 側壁が持ち送りになってて
天井が高いのが解る、
5 は 入り口{開口部}から南方面を眺めてる、山の向こうは
市尾地区や